「2173年、日本」の途中経過

 「保護区、管理区、自由区」という区分け管理は、共産主義と似ていなくもない。
 でも、生産手段すべてを共有するわけではないから、似ているけど違う。

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 計画するためには、状況を把握しなければならない。
 状況を把握するためには、管理しなければならない。

 少数なら、詳しく把握することができる。
 しかし、人数が増えれば増えるほど、意見はまとめられて傾向としてとらえられる。
 一票の重みは、人数が増えるほど軽くなる。

 また管理するために状況を把握するためには時間がかかる。
 資料として手元に届いた時点で、過去になっている。
 人数が増えれば増えるほど、把握することは困難になる。

 しかし変化が緩やかなら、「過去の状況=今の状況」とみなすことができる。

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 よく、成功している会社訪問で、「遊びの要素を取り入れる」という話が出てくる。
 たとえば、「それ面白いね」と他人のアイデアに乗っかり、発展させていく、など。

 「遊んでいるのか、仕事しているのか、分からない」というやり方の方が、創造性を発揮することが多い。
 厳しく管理しようとすればするほど、創造力は発揮しにくくなる。

 どちらのやり方でも、求めるものは同じ。
 自分の能力に目標を合わせるのではなく、目標に合わせて能力を成長させること。
 常に成長が期待される。

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 「変わらないこと=維持」と「変わること=成長」は、同時にはできない。
 必ず、どちらか一方になる。

 みんなが変わらない中で、自分たちだけ成長すれば、大成功が期待できる。
 しかし、変わらなかった人たちは競争に負けて、貧しくなる可能性が高くなる。

 後に残るのは、「食べるために働く」というギリギリの生活。
 「働いているから食べられる」という安心感のない社会。

 「誰もが働けるようになった社会=誰もが成長することを求められる社会」となる。
 家庭から解放されて、社会に進出したため、誰もが競争に巻き込まれる。
 家庭にとどまった人も、競争から無縁ではない。

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 生産力が低い時代は、作れば売れた。
 機械の導入などで生産力が向上した今、物が余る状況になった。

 売れるものを作る努力は、成長や発展を促す。
 しかし、たくさんある中から選ぶ自由を楽しめる社会は、競争に敗れて貧困に苦しむ社会でもある。

 生産力が向上して、少しの労働で必要なものが手に入るようになったのに、必ず貧困で苦しむ人たちが現れる。
 そんな社会はおかしくないだろうか?
 わたしは、おかしいと思う。

 ものは、作るよりも売る方が難しい。
 どれだけよいものも、売れなければお金が入らない。
 しかし、もし同じ暮らしを続ける人々がいて、必ず買ってくれると分かっているならどうなるだろう?
 働けば必ず食べられるようになると思う。

 「暮らしを変えない集団」があれば、不可能ではない。
 日常は変えないが、遊びに行くことで非日常を楽しむことができれば、不満もないだろう。
 自由競争をする自由区に遊びに行って、たくさんある中から好きなものを選べば気晴らしになる上に、自由区の産業の一つにもなる。

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 今のままはおかしいと思うから、おかしくない世界を描写したいと願う。
 しかし、未知の世界を描写することは難しく、どこから手をつければいいのか分からない。

 「保護区の1年」として、出来事を横に連ねるべきなのか。
 「ある女性の半生」として、出来事を縦に並べるべきなのか。
 どちらにしても、考え足りないことがたくさんありすぎて、具体的なイメージが浮かばない。

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