その記憶、本物ですか

 慢性化したら統合失調症で、一過性なら長くて覚えられない病名になった。

 わたしは、いつ発病したのだろう。
 悪くなったのは5月末だけど、もっと前から発病していたような気がする。
 既に一過性ではなく慢性化していたのではないか。

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 幻聴は、わたしにしか聞こえない。外側から判断することはできない。
 だからもし、わたしが嘘をついて「もう聞こえなくなった」といっても、「まだ聞こえている」と言い返すことは難しいらしい。

 「その記憶、本物ですか」と聞かれて、「絶対に本当」と答えられる人はどれくらいいるだろう。
 発病前は考えたことがない疑問。現実と空想の区別はつくと思っていた。

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 病気だと分かって、過去が曖昧になってしまった。

 誰かが一緒に居て、自分が聞いた声が相手にも聞こえているなら、幻聴ではない。
 「周りにも聞こえている=本当の声」と分かっても、内容がゆがめられているかもしれない。
 それでも、互いに言い合えるなら、何が本当か確かめることができる。

 では、過去はどうだろう?
 誰かと一緒で、確かめられるなら幻聴でないことが証明されるかもしれない。
 でも、たまたま同席しただけで、どこの誰なのか分からない場合、聞くことは難しい。
 どこの誰なのか分かったとして、知りたいことを覚えているとは限らない。

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 幻聴は自分自身の声だという。
 しかし、B級映画のパロディのようなストーリーは自分が考えたとは思えない。
 どうやら、感じたこと、考えたことだけでなく、見たもの、聞いたことが混ざり合っているらしい。

 一人でも幻聴だと気づくこともある。
 わたしの場合、「男女がわたしについて噂話をする」という形で現れることが多い。
 考えたことに反応して、会話が変われば「外で話している声ではない」とはっきりする。

 一番悪いときは、幻聴と会話していた。
 どこかに行けとか、行くなとか、やれとか、やるなとか言ってくる。

 入院する直前は、「どちらかが死ななければならない」という状況にあった。
 わたしは、わたしが死ぬ方を選んだ。だから、さまざまな検査の後で殺処分されると思っていた。
 ところが、実際に起きたことは、隔離病棟に入ることだった。

 それから、家が破産したとか、不治の病だとか、不安になることを次々話してくる。
 それらが「本当でない」と納得するまで結構時間がかかった。

 今は「すべて幻聴でよかった」と思っている。

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 ずっと「幻聴だけでなく、本当に話していることもある」と思っていた。
 しかし、結局はどれも本当ではなかったらしい。

 たぶん、かなり前から発病していたのだと思う。
 でも、「他人のことをいつまでも話しているのは不自然。仮に本当だとしても態度を変えるきはないのだから、意味はない」と気にしないでいたから何ともなかったのだと思う。

 「噂話や非難や批判が聞こえているけど無視する」と「何も聞こえないから、強気な態度をとる必要もない」では、全然違ってくる。
 常に緊張しているか、おおらかでいられるか。

 かなり前からあったなら、性格にも影響していたのではないだろうか。

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 たとえば幻聴か、本当に話している声なのか、区別がつくようになったとしよう。
 しかし話している言葉だけで、相手の本心が分かるわけではない。結局「分からない状態」がずっと続く。そう考えたら、いつ発病したのか考えてもあまり意味はないような気もしてくる。

 人の認識は曖昧なもので、嘘も本当も混ざり合ってできている。
 だからやっぱり、ほしいものを考えて、手に入れるために行動したらいいのではないかと思う。

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 幻聴の薬は、飲むと眠くなる。
 午後8時に飲んでいたけど、昼間眠くて仕方がないので午後6時に飲むことにした。
 すると手足がむずむずかゆくなって眠れない。それでも、一日中眠いよりましなので、今は早めに飲んでいる。

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 最近、「2173年、日本」の土台にするためにトマス・モア「ユートピア」(岩波文庫)を読み返した。

 等身大の人間を描くなら、卒寮に焦点を絞ってJ・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」のように連続した短時間がいいと思う。
 でも、それなら未来の設定にする意味がない。

 未来の設定にするなら、「ユートピア」のように外側から見た方がいいのかもしれない。
 でも、ユートピアは未来ではない。同時代に存在する架空の世界の話をしている。
 「予言」という形でもいいけど、設定がややこしくなる。

 どんな形なら分かりやすくまとまるのか、まだ答えが出ない。

 どんな形式にするとしても、もっともっと具体的な空想にしなければ何も書けない。

 「それを書いてどうしたいの?」と疑問に感じる時もある。
 求めなくなったら楽になるのだろうか。
 楽になるのかもしれない。でも、他に望みはないし、続けてきたことを最後まで求めるのだろう。

 ぐにゃぐにゃした世界も悪くない。
 今はそう思う。
 本当のことが分からなくても、前を向いてシンプルに生きたい。

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