再構築

 事実を並べて賛否を問われてもさっぱり分からないので、日本を擬人化して考えてみよう。

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 震災前の日本を人にたとえたら、仕事に行き詰った会社員。
 組織の一員として、目的達成のために働いている感じ。

 どうして行き詰っていたのだろう?

 仕事の目的が分からないから?
 短期的な利益を優先して、長期的な展望がみえないから?

 顧客が見つからないから?
 自分自身を無視して、他人に売らなければならないから?

 理由がなんであれ、震災前から問題はあった。
 不況とか、就職難とか、いろいろ。

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 震災後は、急性の病で倒れて入院した患者。

 治療方法が見つからない。
 回復したとしても、完治はしない。
 治療は長期化しそう。

 元には戻れない。
 問題を抱え続ける。

 思うように動けないけれど、働かなければならないし、働きたいと思っている。
 でも、ただ働けるようになればいいわけではない。
 もともと抱えていた問題も解決しなければならない。

 前より解決が難しくなったのだろうか?
 選択肢は狭くなった。しかし、どれだけ可能性があっても、選ぶのは一つ。
 問われるのは、選択した後で、選択肢が多いことではない。

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 健康な時と病の時、一番の違いはなんだろうか?
 わたしは、「余裕がないこと」だと思う。

 元気な人なら、「週5日働いて、週末に遊びに行く」ができる。
 体力がないと「週5日働いて」をしたら、週末は体が重くてベッドから起きられない。「働いて、食べて、寝る」で精一杯。

 「仕事を3日に減らして、2日休養して、2日遊ぶ」なら、継続可能かもしれない。
 しかし、収入が大幅に減る。生活費が足りなくなるだろう。
 「暇はあるけど、お金がないから何もできない」という状況になりかねない。

 なぜなら、お金をかけずに遊ぶためには、体を動かすしかないから。
 でも、体を動かしてしまったら、仕事に行けなくなる。
 だから、何もできない。

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 国家に直した場合、「仕事=生活に必要なこと、休養=医療や福祉、遊び=娯楽や観光」となる。

 労働人口も生産力もある。
 だから、サービス業に就く人が増える。
 そのサイクルが逆になった場合、どうなるのか?
 労働人口が減って、生産力が落ちた場合、サービス業から製造業や農業・林業・漁業に移るのだろうか?

 もし、サービス業が今のまま残るとしたら、誰のためのサービスになるのだろう?

 今までは、自国民が遊ぶための観光産業だった。
 国に余裕がなくなれば、外国人相手の観光業になるかもしれない。

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 一番の疑問は、「人と資材が不足」が、どれぐらいの規模なのか。

 亡くなった人、避難している人を含めて、膨大な数に上る。
 彼らは、自ら動ける状態にない。
 するとどこからか動員する必要がでてくる。
 どこから動員するのか?

 被災していない地域しかないと思う。

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 被災者が望んでいるのは、自宅を片づけて仕事や生活を再開すること。
 しかし、あまりに範囲が広くて、最初と最後でかなり時間差が出てしまう。
 何年も戻れないなら、別の場所で働いて、戻れる時に備える必要が出てくる。
 しかし、どこも不況だから、住居を与えられても、仕事まで見つからないかもしれない。

 新天地で、まったく違う仕事に就く人も出てくる。
 熟練した仕事から、慣れない仕事に変われば、収入が減る。
 よく分かって判断できた状況から、よく知らず叱られる日々になれば、精神的にも辛い。

 現地に残って建て直すとしても、仕事が軌道に乗るまではサポートが求められる。

 家の場合、「全壊・半壊」など被害状況を調べて、支給金額を決めるという。
 建てるのにかけた費用に関係なく、一律支給されるのだろうか?

 船を持っていた人は、船を取り戻すための資金を借りるのだろうか?
 二重ローンを組むことになるのだろうか?

 何も持ってなかった人は、何ももらえないのだろうか?
 それとも、被災者に一律に支払われる見舞い金だけもらえるのだろうか?

 「元の状態に戻す=差のある状態に戻す」なのだろうか?
 それとも、「一律で支援して、元の状態に戻せるように協力する」なのだろうか?
 報道を見る限り後者のよう。わたしは、前者なのかと思っていた。

 個人には住宅、会社には建物や道具などの資本を支援する。
  会社:生産体制を取り戻す
  個人:働いて失ったものを取り戻す
 という具合に支援するのかと思っていた。

 でも支援を受ける金額に差が出るから、不公平な気もする。
 だから、違うのかもしれないと思った。

 しかし、たいていは仕事を中心に住まいを決める。
 家があっても、仕事場や店がなければ生活できない。

 阪神・淡路大震災の時はどうだったのだろう。
 ネットで検索したけど、よく分からなかった。

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 被災地復興を目指すのか。
 国の立て直しを目指すのか。

 東日本を、西日本と同じ状態に戻すのか。
 東と西を合わせて、新しい日本を目指すのか。

 新しい日本を目指すなら、どんなふうに生まれて死ぬことを想像しているのか。

 集団化するのか。
 個性を生かすのか。

 わたしは、何を望むだろう?

 新しい日本を望む。
 人や自然を育てる仕事は集団でする。個人ではなく、国としての考えを基準にする。
 競争が必要な仕事は個人でする。ローカルルールを採用する。

 もし、「育てる」と「競争する」で対立したなら、育てることを優先する。
 競争するための制約条件として、個人に工夫を求める。

 そんなふうに接点を持たせる。
 結局、「2173年、日本」の基本方針と異なる考え方は出てこなかった。

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 環境が変わった時、最初に必要なのは事実を受けれること。

 次に問われるのは、何を中心に立て直すか。
 仕事も家庭もは無理だから、仕事を続けるために日常を組み直す必要が出てくる。
 あるいは、日常を充実させるために、働き方を変える必要が出てくる。

 わたしの場合、「体力は回復しない」と分かったときは、母としての自分しかなかった。
 でも、わたしにとって生きる目的は「子どもの成長」ではなかった。

 「体力的に世話が無理だから」が理由ではない。
 「子どもの成長を見守れるなら、あとはどうでもいい」と思えなかった。
 「娘の花嫁姿を見るまでは死ねない」ではなく、「自分がいたら結婚しずらいのではないか」と思えた。

 そう思えない自分に罪悪感を感じたこともあるけど、形式的で理想的な理由では意欲につながらない。

 わたしが望んだのは、「創作」だった。
 習ったのはシナリオだけど、最終的に小説に落ち着いた。

 目的が決まると、不要なこともはっきりする。
 優先順位もつけられるようになる。

 「自分でできる範囲」が分かれば、「他人に頼る範囲」もはっきりする。
 一緒に行動する人次第で、できることが変わってくる。
 しかし、全部人頼みではないから、一人でも望み続けることができる。

 「一人でも望み続けることができる」があれば、「世話になる人」ではなくなる。
 「患者としての自分」がすべてにならなくてすむ。

 体調の変化に一喜一憂することほど、生きていて辛いことはない。
 よくなったとしても、みんなと同じには暮らせない。痛くないというだけ。
 すると悪くなった時だけが印象に残ってしまう。

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 そういった問題は、慢性的な問題がなくても問われるものらしい。
 昨夜、本「ドラッカーの講義 1991-2003」を読んでいたら、「再構築する時は、強化することを選ぶ」という意味のことが出てきた。

 健康でも、専門的な仕事に就いている人は、一人で全部はできない。
 「○○しかできない」から「○○が必要とされる場所に行く」が起きる。

 移動しないで、同じ場所にとどまるためには、次々仕事を変えなければならない。
 雑務か、普遍的な仕事か、二極化すると思う。

 一つを選んで移動しても、できることを増やしてとどまっても、一度にできるのは一つ。
 「今取り組むこと」が決まれば、「今は、やらないこと」がはっきりする。
 「自分が引き受けて向上させる範囲」が分かれば、「他人に依頼する範囲」もはっきりする。

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 本「ドラッカーの講義 1991-2003」の中で、他に印象に残ったのは、「学ぶためには、教えるのが一番」という話。

 勉強には、目的がない。
 「テストの点を上げる、受験に受かる」では、目的が遠すぎて「今したこと」の意味を教えてくれない。
 でも「覚えたら、友だちに教える」なら、「今したこと」の結果がみえる。

 企業や非営利団体に限らず、「活動するためには目的が欠かせない」のかもしれない。
 「目的があれば活動する」と言いかえることもできる。

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 「目標を定めて、する・しないを仕分けする」は、自分が、自分についてするだけなら問題は起きない。
 もし、国家が仕分けして、国民に従うことを求めたなら?

 「やらない」と決めた範囲に希望がある人は、生きづらくなる。

 それでも、国家の方針を理解して、「自分の考えを通す方法」を思いつけば居場所はみつかる。
 自分の感覚を土台にしないと動けない人は、困ってしまう。

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 ある出来事が起きる。
 何かを思うかもしれないし、何も思わないかもしれない。

 国家から、「こんな風に感じて、こんな風に考えて、こんな結論を出した」という意見が提示される。
 同じように感じられなかったら、どうしようもない。
 考えたことが理解できなくても、どうしようもない。
 どうにかなるのは、結論について「違うやり方もある」という場合だけ。

 しかし、結論について言い合うだけでは、前提になっている感じ方も、考え方も問われない。
 疎外されたままの人がたくさん出てしまう。

 わたしは、結論部分で争うことに興味が湧かない。
 面白いと感じるのは、最初の部分。
 出来事に対して、どう感じるのか。

 だから小説家志望で、記者には向かないのだと思う。

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 感じ方の浅い、深いはある。
 子どもだから、自分が得をすることばかり考えて、全体が滅びれば得した分が吹き飛ぶことに気づかない。
 そんな問題も起きる。

 それでも、考えることを許さず、他人が出した結論に従うことを求められたら生きているのは辛い。

 だからといって、「そういう考え方もあるよね」と認めてしまえば、全体が滅びることになる。
 どうすればいいのか?

 最初は理屈を分からせようとした。でも、幼児には通じなかった。
 だから、争いに参加することにした。

 たとえば、食べきれないのにお菓子を独占しようとしたら、「欲しいならいいよ」と黙認しない。
 悪役を演じる。実にめんどくさい。

 わたし自身は、怒られないように親の顔色を見る子だったので、与えられたものを受け取るだけだった。
 だから、最初はなんでそんな無意味なことをするのか、わけが分からなかった。
 でも、いつでも与えられるとは限らないから、奪い合いの中から学ぶことも多いのかもしれない。
 実際、わたしはハングリー精神に欠けている。

 基本的に、何も思わない。
 その代わり、目的を持つとそれだけに集中する。
 もともと何も思わないから、気になることしか見なくなる。
 そして、いつでも何かしらの目的があるので、退屈したことがない。
 「そんなことして何になるの?」という非現実的な目的も多いけど、本人は真剣なので退屈しない。
 どう考えても無理と納得するまで、実現の可能性を探る。

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 わたしは、他人や状況との比較しても、意欲が続かない。自己中心的なタイプ。自分が定めた目的のために行動する。
 だから、自分がどうしたいかは言えるけど、みんながどうすべきは言えない。
 自分が聞く気がないから、他人も聞かないだろうと考える。それぞれ決めればいいと思う。

 でも、日本は情緒的な国柄なのだから、世界で主導権を持とうとしなくてもいいんじゃないかと思う。
 個別で具体的な問題を引き受けた方が、個性を生かせると思う。

 実際、いろいろな国が、「支援してくれたから」と支援に来てくれた。
 自分が行ったわけではないから、日本が支援に行ったことは覚えてなかった。
 でも、受ける側になって初めて、「救助隊=国の代表」にみえると実感した。

 高校を卒業する時、「就職先で先輩が頑張ってくれたから、○○高の生徒ならと求人が来る。あなたたちも後輩のために頑張りなさい」と言われた。わたしは、学校の求人ではなく、広告の求人で就職したけれど、卒業した高校の評判は影響したと思う。

 経済大国として成功したことより、いろんなところで、いろいろな支援をしていたことの方が、誇らしく思えた。
 経済大国でなくなったら、お金や物で支援はできないかもしれない。
 でも、現地で地道な活動を続けることなら経済大国でなくなってもできると思う。

 新しい技術を開発することは、競争に勝つためには必要。
 でも、生活に必要な技術は、すでに開発された分で十分に思う。
 むしろ、小規模資本で、どこでも、いつでも、誰でも使える技術の方が使い勝手がいい。

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 最高のやり方より、理解できるやり方の方が優れている。
 なぜなら、問題が起きた時、対処できるから。

 個々で責任を持つなら、最低ラインに合わせる。
 代表者が責任を持つなら、最高ラインに合わせる。

 たとえば、エクセルの使い方。
 やり方を教えないで、仕事を引き受けることはできない。
 だから、相手に分かるやり方で説明することを選ぶ。

 たとえば、わたしなら、シートをコピーする。
 しかし、シートのコピーが分からなければ、ファイルのコピーでいい。
 要するに、目的が達成できればいい。

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 大枠を定めて、具体的な一歩を考え抜く。
 小説も、マネジメントも、手順は同じだった。

 やり方はいろいろあるけど、問われることは変わらない。
 だから、答えを出すことも変わらない。

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 1000円とか、100円なら募金できる。
 でも、何度も繰り返したら、自分の生活が困る。

 だから、「募金以外にできることはないか?」と考えた。
 10万円あったら、何をする?

 体を動かすことはできないので、現地にはいけない。物資を運んだり、片付けを手伝うことは無理。

 家にいたまま、電話やメールを使って事務に必要な情報をまとめられないだろうか?
 それなら、体力は問題にならない。
 でも、知らない相手に聞かれて、答えてくれるだろうか。
 そもそも答えられる状況にあるのだろうか。

 考えてみて分かったのは、行政機能が信用の上に成り立っていること。

 同じ説明を、担当が変わるたびに繰り返すのは煩わしい。
 秘密を守ることはもちろんだけど、継続的に活動することが一番大切。
 同じことを続けるのが苦手なわたしには、難しい。

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 結局、「仙台に行って、日本三景の松島を見る」しか思いつけなかった。
 「旅行代として使う」になった。仕事ではなく、遊びの計画に落ち着いた。

 10万円あれば、たぶん行けるだろう。
 仙台でライブがあって、バイトや用事と重ならなかったら行こうかな。
 もうガイドブックは買いました。

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 わたしの弱みは、休まないと動けないこと。
 しかし、そのおかげで、やる前に考えるようになった。
 旅行の場合、地理や交通手段をしっかり調べて安全を確保する。

 若いころは、もっと行き当たりばったりだった。
 「やってみないと分からない」「先に知ってしまったら面白くない」と思っていた。

 今は、あらゆるケースを考え抜いてから選択する。
 問題が起きた場合を想定して、変更プランも用意する。

 最初は「面白そうと思っても、挑戦できないからつまらない」と思っていた。
 しかし、やってみると、調べてから行く方が面白い。

 知っていても、面白いものは面白い。
 珍しいから、新しいから面白いものより、事前に情報を知っていても面白い物の方が、より面白い。

 落語などは、その典型。
 あらすじは知っている。
 でも、ちゃんと笑ったり、泣いたりできる。

 原作となる小説をブクログで無料公開して、後から朗読データを有料配信したいのも同じ理由。
 伝えたいのはあらすじではなく、登場人物が抱えている気持ち。
 だから、文字ではなく、声で表現したい。

 あらすじが分かったらつまらないような話なら、制作費をかけて作る価値はない。
 読者としての経験の方が長いので、判断基準が厳しくなる。

 しかし、わたしは語り手にはなれない。
 速度や高さをコントロールできないし、情を込めることもできない。
 「間違えないように読む」だけで精一杯。

 いずれにしろ、原稿を完成させて、読み上げてみなければ感じがつかめない。
 読み上げたデータは、DropBoxでデモ代わりに公開する。

 「ビュー5000以上」もしくは「ダウンロード1以上」になったら、制作費をかけて有料配信する段取りをしようかな。
 達成できそうにない目標だけど、それさえクリアできないなら作らない方がいいと思う。

 公開する手段はあるのだから、そこから先は後で決めればいい。

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