投機と資本

 本「ドラッカーの講義 1991-2003」を読むまえに、「投機と資本」について自分のイメージをまとめておこう。

 メモなので、まとまりがない。結論もない。
 本を読む前に自分のイメージを書き出すと、作者のイメージに気づかず、自分のイメージをあてはめてしまうことを防げる気がする。「他の人が読むかもしれない記事」としてまとめれば、いろいろなことに注意を払う。
 そんな目的で書いた記事です。

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 年金も投機も、【縦方向の流れ】を持っている。
 仕事は、【横方向の流れ】を持っている。

 【家】は、人が住んでいるだけなら、【消費財】となる。
 売買できる【財産】だけど、日ごとに価値が減っていく。

 同じ家でも、【農家】の場合、【作業場】としての役割がある。
 場所がなければ作業ができない。
 作業をすれば、物を生み出せる。
 だから、【消費財】ではなく、【資本】となる。

 【商店】や【宿屋】も、農家と同じように【生産】する。
 だから、【消費財】ではなく、【資本】となる。

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 自宅で仕事をしない会社員の場合、「どんな家に住むか?」は収入に影響しない。

 【生活の質】は変化するかもしれない。
 しかし、マイホームでも、賃貸でも、社宅でも、月給は変わらない。
 変わるのは、【収入】ではなく【支出】。

 マイホームを現金で買う人はいない。
 たいていは、30年前後のローンを組む。
 マイホームを持てば、固定資産税も払わなければならない。
 ペンキの塗りかえなどもしなければならない。
 意外とお金がかかる。

 【ローンを払い終えた家】を修繕して住めば、賃貸より安いし、追い出される心配がない。

 賃貸は、払い続けても自分のものにならない。
 そのかわり、好きな場所に住みかえることができる。
 追い出される可能性もある。

 社宅は、賃貸より安い。
 同じ会社に勤め続けて、社宅に住んで浮いた予算を預金し続けたなら、ローンなしで家が買えるかもしれない。

 いずれにしろ、【生活のための家】は【資本】にならない。

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 お金も、銀行に預けているだけでは【資本】にならない。

 お金を預ければ、【利子】がつく。
 しかし、資本金として事業を始めた場合の【収入】とは比べ物にならない。

 【元金】に手をつけず、【利子】だけで生活するためには、多額の預金が必要になる。
 【多額の預金を手に入れる】が不可能だから、【利子で生活】も不可能。

 利子だけで生活できるほどの【多額の預金】がある人は、事業をしていることが多い。
 会社勤めとは、生活の仕方が異なっている。必要な額が違ってくる。

 また「一発当てて、隠居生活」を望む人は、そもそも「一発当てるための挑戦」をしないと思う。

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 家や預金を持っている人は多い。
 しかし、家も貯金も、【資本】ではない。
 つまり、多くの人は【生産する手段=資本】を持っていない。

 では、誰が資本を持っているのか?
 資本とは何か?

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 【店】や【道具】など【資本】を持たない人は、資本を持つ人のところで働くことになる。

 昔から【体が資本】というけれど、自分の体を動かして生産活動をすれば、収入が得られる。
 つまり【人】こそが、すべての資本の根底にある。

 【体の使い方】は、いろいろある。
 体力を必要とする生産もあれば、知識が求められる生産もある。

 鍛えて向上するのは、得意なことに限られる。
 できないことは、やればやるほど悪くなる。
 だから、「毎日、続けられること」でなければならない。

 一人ひとりが「続けられること」を持って、続けることで【横方向の流れ】が生まれる。

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 繰り返しになるけど、大切な部分なのでもう一度。
  預金を持っている人はたくさんいる。
  しかし、預金を資本にできる人は少ない。
 なぜ、資本を手にすることができないのだろうか?

 以下、自分のケースを例に考えてみよう。

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 わたしは小説家志望。でも、書くことで収入を得ているわけではない。時給で働くアルバイトで収入を得ている。

 ずっといろいろ書いてきたけれど、それを仕事にしようと考えなかった。趣味として始めた。
 「小説家になる」と決心した今でも、何かあるたびに迷う。
 それでも、ほんとうに少しずつ進み始めている。

 最初にしたのは、ブクログで全文公開すること。
 「ノーリスク、ノーリターン」だから、商売とはいえない。

 資料やパソコンや紙など、完成するためにかかった費用はある。
 しかし、かかった費用を取り戻すために、一部公開にして有料販売したら、読んでくれる人はずっと減るだろう。
 なぜなら、わたしのことを誰も知らないから。たとえ100円でも、内容の分からないものにお金を出そうとは思わないだろう。

 しかし、他人に支払う費用がないので、利益がなくても損はしない。だから、全文公開を選んだ。
 無料で読んでもらって、有料でも読みたいと思ってくれる人がいなければ、仕事として専従できない。
 不特定多数に名刺を配っているような段階。

 短編の場合、数話まとめなければ紙の本にならない。しかし、電子書籍なら、1話単位で販売できる。
 それでも、一冊の定価が安いので、5000部以上売れないと、制作にお金をかけられない。
 編集やデザインにプロの手を借りることができない。

 ブクログの場合、原稿作りも、編集も、構成も、表紙も、すべてわたしが一人でする。だから、外部に支払う必要がない。売れなくても損はしない。その代わり、読者の獲得が難しくなる。
 内容を効果的に伝えるためには、表紙やレイアウトが重要になる。しかし、わたしには自分でそれをする能力がない。

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 わたしが一番やりたいのは、朗読データの有料配信。
 わたしにはできないことがほとんどなので、依頼することになる。
 依頼すれば、当然、支払いが発生する。

 【制作・販売】に関わる費用は、販売前に支払わなければならない。
 「スタジオ代、マスタリング代、ジャケット代、チラシ代」などがある。

 【創作】に関わる費用は、「最低報酬の前払い+印税」という形が多いらしい。
 「朗読や演奏」などがある。

 たとえば、「自宅で、友だちと録音」なら、【外部支払い】がない。
 投資がゼロなので、売れたらプラス、売れなくても負債が残ることはない。
 【作る】という面だけ考えたら安全だけど、【伝える】という目的を達成できない。

 【伝える】という目的のために、仕事としてしている人の力を借りたとしよう。
 マスタリングやジャケット制作は、仕事単位の契約なので、予算オーバーは起こらない。
 しかし、スタジオ代は、予定通りに進まなければ予算オーバーするかもしれない。極端な話、完成するかどうかさえ分からない。

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 最低でも5000部以上、売れるものでなければ制作費はかけられない。
 売れても、売れなくても、制作費は前払いしなければならない。
 トラブルが起きて、予算オーバーするかもしれない。

 そこで、わたしは立ち止まってしまう。
 資金を作るとか、借りるとか、そういう部分ではない。
 5000部売れなくて、借金が残ったらどうしようと思う。
 なぜなら、今の状況では、借金を返済する方法がないから。

 しかし、先行投資しないと何も生み出せない。
 そもそもお金を貸してもらえない人は、商売を始めては駄目なんだと思う。

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 本も、300万円出せば、自費出版という形で書店に流通させることができる。
 編集も表紙のデザインも出版社が引き受けてくれる。

 それなりに生活に余裕がある人なら、高級車を買う感覚で、自分の本を書店に並べることができる。
 しかし、初版が全て売れても、制作費の300万円には程遠い。発行部数が少ないから。

 もちろん、想像以上に売れて、再販を繰り返して、高額収入を得た人もいる。
 しかし、多くの人は再販されることはない。

 誰でも簡単に始められるけど、収入を得られるのは少数。
 本だけで生計を立てられる人は、ほんの一握り。

 そういう事実を知ってしまうと、時給や月給で働くのって楽だなと思う。
 なかなか「わたしは大丈夫」と踏み出す気持ちになれない。

 創作は好きだけど、商売は苦手。
 でも、どんな形に落ち着くか分からないけど、小説「竹林の家」の原稿が完成したら挑戦します。
 知りたかったことが分かったから、やりたいことが変わってきた。

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 少額なら、借金なしで資金を用意できる。
 多額なら、負債という形で始めるしかない。
 銀行に借りる。
 あるいは、株を発行して資金を集める。

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 何かをしようとしている人がいて、【前払い=投資】する必要がある。
 成功すれば、投資したお金より、収入の方が多くなる。
 借りたお金を返しても、手元にお金が残る。

 給料を積み立てて元金を用意しても、銀行から借りても、株式を発行しても、売れれば儲かる。

 負債を背負うのが嫌なら、「収入の範囲で支払う=趣味」にとどめればいい。
 安全だけど、誰の役にも立たない。

 先行投資して事業を始める人がいなければ、働く場所もない。
 社会全体として見た場合、【投資して資本を獲得、生産する】は避けられない。

 学校の勉強とは、全く違うことが求められる。
 「どのように投資して、生産しているか?」を学んでも、「投資する資本を選んで、生産する」ができるとはかぎらない。

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 投資信託型の年金は、「今、投資する資金が必要な人」にお金を貸してくれる。

 投資する時、成功しそうな計画を選んで、失敗しそうな計画は避ける。
 内容に関係なく、全員に資金を貸したら、回収できなくなるかもしれない。
 だから、信用調査はしなければならない。

 「計画の内容を審査して、貸し付けする」だけなら、害はない。
 むしろ、審査しない方が害がある。

 では、投機が問題になるのは、どんな場合なのか?
 「利益を出している事業から資金を引き揚げて、より多くの利益を得られる事業に資金を投資する」をしたとき。

 資金を引き揚げられた事業は、仕事ができなくなるかもしれない。
 その結果、その会社につながる会社が影響を受ける。
 たぶん、【横方向の流れ】が寸断される。

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 【横方向の流れ】が寸断されて、【次=今日以降】につなげられない場合、【縦方向の流れ】も寸断される。
 【縦方向の流れ=投資する資金】はあるけど、【投資する対象=横方向の流れ】がなくなる。

 「市場が拡大して、事業規模が大きくなっていく=右肩上がりの成長」でなくてもよいのだと思う。
 「生産している人」が、どれだけいるかが問題なのだと思う。

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 作家の場合、昔は紙と万年筆さえあれば、仕事が始められた。
 実際には、資料などが必要だったかもしれない。
 しかし、製鉄所を作るよりずっと安い。

 今は、パソコンを使用している人が多い。
 それなりに資金がかかる。
 それでも、製鉄所を作るよりはずっと安い。

 パソコンをインターネットやゲームに使っているだけなら、【消費財】でしかない。【個人消費】として扱われる。
 しかし、ワープロソフトで売れる原稿を作れるなら、【資本】に変わる。パソコン代を上回る利益を出すことができる。【必要経費】として扱われる。

 「今あるお金と物」で「まだないもの」をどうすれば作れるか?
 欠かせないものが足りないなら、どうすれば調達できるのか?

 この二つに答えることができれば、学歴や年齢に関係なく商売を始められるのだと思う。
 しかし、誰でも答えることができるだろうか?

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 わたしは、答えることができなかった。
 だから、就職したり、アルバイトをしたりしている。
 ゲーム専門学校にも行った。しかし、足りないものを追い求めても、何かを生み出すことはできない。

 なぜか?

 「既にできること」で商売をしながら、「まだできないこと」に挑戦していくものだから。
 「できるようになってから商売にしよう」は、考え方が間違っている。

 間違っていると気づいても、どうしていいのか分からない。
 時間をかけて調べても、それをどう使ったらいいのか分からないから、収入に結び付かない。

 それは、わたしだけだろうか?
 多くの人が同じ問題に直面するから、自営よりも会社勤めを選ぶのではないだろうか?

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 まとめると、
  資本=できることで商売をする。
  投機=資金を増やすことで、できることをパワーアップさせる。
 という関係にあるのだと思う。

 パワーアップは、シェアを増やすとか、効率化するとか、そういうことではないのだと思う。
 一人ひとりを【資本】として生かしながら、【横方向の流れ】を隅々まで行きわたらせ、【縦方向の流れ】につなげていく。

 まとめると、
  お金には横方向の流れと、縦方向の流れがある。
  横の積み重ねが、縦の流れになる。
  横の流れを生み出すのが、資本である。
  最も根底にある資本は、人である。
 となる。

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 店も道具も、【人】がいてこそ生かされる。
 【人】こそが資本なのだと思う。
 すると「会社でも、家でもいい。仕事を持たない人間は、資本にならないから、不要なのか?」という問いが生まれる。

 一人で、一人を丸抱えするのは大変だけど、大勢で支えることならできる。
 それが意味することは何か?
 扶養者がいても、国が援助してくれる。
 その代わり扶養者がいなくても、扶養の義務が生じるということ。

 「成人したら、誰でも扶養者を持っている」という状態が意味することは何か?
 誰もが、守らなければならないものを持っていて、無謀な挑戦はできないことを意味しているのではないか?

 「その時、その場がよければよし」とはならない。
 毎月、必ず支払わなければならない。
 免除されるためには、【理由=条件を満たすこと】が必要になる。なぜできないのか主張し、できないままでいなければならない。できるようになれば、即、一律で請求される。

 家族を持たない独身者であっても、制度に縛られ自由ではない。

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 自分自身を含めて、人や物を【資本】として生かせる人しか、必要なものを生み出すことはできない。
 そして、まだないものを生み出した人しか、他人を救えないのだと思う。

 わたしのような低所得者は、自分が払った税金より、企業が払った税金で受けた恩恵の方が確実に多い。
 たから余計に、自分で自分の未来に備えているのではなく、他人の成功で守られていると感じる。
 直接かかわる家族はもちろん、間接的にかかわる国なしでは生き延びられはしないだろう。
 だから国の問題を気にする。考えたり、知ろうとする。

 何も持たず、失うものがないから、何でも挑戦できる。
 それは、若者だけが持つ自由だといわれてきた。
 「全員参加」が決まった時、若者の特権を失ったのかもしれない。

 結局、勝ち抜かなければ、生き残れない。
 そういう状況は、今も、昔も変わらないのだと思う。
 年金制度でも、教育制度でも、変えられない部分。

 特に年金の場合、横方向の流れが止まれば、一瞬にして縦方向の流れも消える。
 「今のまま続けば、得られるだろう」という予定は、今が崩れると消えてしまう。

 それなら、「横方向の流れ」だけ考えた方がいいのではないか?
 横方向の流れがうまく回れば、将来の心配をする必要はなくなるのではないか?

 「投機して、生産する」は、失敗してもやり直せる。なぜなら、資本の始まりとなる【体=人】があるから。
 しかし、「働けなくなった時のために積み立てる」は、失敗するとやり直せない。なぜなら、資本の始まりとなる【体=人】を失っているから。

 働くことができれば、入ってくるはずの収入が途絶えても、借金を背負っても、働いて返せる。
 しかし、働くことができない状態にあるなら、入ってくるはずの収入が途絶えた途端、どうにもならなくなる。

 問われているのは、「どうやって隅々まで回すか?」で、「自分で自分の身を守る」ではないのだと思う。

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 人が、人を救う時、かわいそうだから救うのだろうか?
 「自分は、かわいそうではない」が、「相手は、かわいそうである」と考えているだろうか?
 わたしは、違うと思う。「自分がその立場にたったら」という心理が働くからだと思う。

 だから、「わたしは絶対にしない」と思うことが原因で困っている人を見ても、さほどかわいそうだとは思わない。
 「彼の問題であり、わたしの問題ではない。自業自得」などと切り捨てることができる。

 「自分は年をとらないし、病気もしない」と思えば、老人や病人を見ても「他人事」と気にせずにいられる。
 「自分も必ず年をとるし、病気になるかもしれない」と思えば、老人や病人を見れば、自分のことのように相手の身を案じる。

 貧乏が理由で罪を犯した場合で考えてみよう。
 「自分が貧乏になることはない」と思えば、「貧乏人のくせに」と差別するだろう。
 「自分は貧乏ではないが、貧しい家に生まれたら、同じ状況に陥ったかもしれない」と思えば、同情するだろう。
 「自分は貧乏だが、同じことはしなかった」なら、「貧乏は犯罪の理由にならない」と断言できるだろう。
 同じ批判でも、自他を区別した「貧乏人のくせに」という差別より、自他を区別しない「貧乏は犯罪の理由にならない」という正論の方が重みを感じる。仮定ではなく、過去だから変わることはない。

 不自由なことがないほど、「もし、自分が同じ立場だったら」という想像に支配されて、「悪いこと」と言いきれなくなる。

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 困っている人を見殺しにすると、いつか自分も見殺しにされるのではないかと不安に感じる。

 言葉だけ聞けば、「困っている人ではなく、自分について心配している=自己中心的」に感じられるかもしれない。
 しかし、人は自分と他人をさほど区別していないのだと思う。
 「自分のことのように思える=共感」が起きて、「いつか自分も」という想像をした。

 その不安を払しょくする簡単な方法が、自他を区別することなのだと思う。
 「違い」を探して、「だから、自分には起こらない」と安心しようとする。

 肉体的条件でも、社会的条件でも、くつがえることのない絶対的な差はない。
 無理して証明しようとすれば、積極的に攻撃するしかなくなると思う。

 子どもは、今見ている大人の姿から、自分の未来を想像する。
 大人は、今見ている老人の姿から、自分の未来を想像する。
 老人は、今見ている死者の扱いから、自分の未来を想像する。
 未来を意識しなくても、無意識に影響を受ける。

 死者を弔うことや、老人や病人を助けることは、生産とは直接関係ない。
 しかし、人が自らの体を資本として働くためには、【自分のことのように思える他人の困難の解決】は欠かせないのだと思う。

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 家は、資本の始まりとなる【人】を育てる。
 育てる段階で、よりよいものを選んで、駄目なものを排除したら、どうなるだろう?
 【優れた特性を持つ、似たようなもの】がたくさんできる。
 変化に弱くなる。

 「病気になったから分かること」もある。
 しかし、「病気になったので、排除」をすれば、その知恵が広まることはない。

 何が役立って、何が役立たないかは、長期になるほど判断がつかなくなる。
 だから、人為的に選択しない。

 わざわざ選択しなくても、「前払いして利益を出す」が問われる場面で差がついてしまう。

 【生活に必要なこと】をしても、【投機して生産する】をしなければ、利益が出せない。
 しかし、生活のために働くことは、利益を出すために必要な【人】を育てるためには欠かせないものである。

 人を育てるために働くことと、物を生み出すために働くことは、問われることが違う。
 人を育てるために働いても、物を生み出すために働いていなければ、「無職・無収入」と分類される。「何もしていない」という見方をされる。

 「人や自然の世話をすることも仕事である」に変われば、経済活動に縛られずに行動できるのかもしれない。
 「そう思ったから、そうするのだ」だけで、当事者同士が合意して動けるようになる。

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 いろいろなことが混ざりあって、どんな時に何をするのかがごっちゃになっている。
 特性を理解して、問題を整理する必要があるのだと思う。

 「2173年、日本」は、自分がずっと考えてきた答えなので、どうしても同じ方針で解決しようとする。
 「都合よく解釈していないか?」を問い続けるこのころです。

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