耽美と道徳

 本を読んでいて気になった事や、下書きの進み具合など。

-----

 谷崎潤一郎さんについて調べると、耽美という言葉が出てくる。

 では、耽美の反対の世界は何か?
 どうやら、道徳らしい。

 道徳を引くと、人倫、理性的意志とつながっていく。
 理性は、概念的思考能力をいう。
 概念的とは、直観・表象ではないものをいう。

 直感が、内臓感覚から生まれる無意識的な判断なら、表象は、知覚から生まれる意識的な判断といえそう。

 では、概念は、何から生まれるのか?
 わたしは、蓄積された知識だと思う。客観的な事実ともいえる。

 直観と表象は、肉体を通じて得られる。
 概念は、情報を通じて得られる。
 だから、「心を扱うはずの道徳が、記号化・図式化して生きている人間を無視する」という矛盾が生まれるのだと思う。

-----

 概念は、共通する部分を取り出して、個々の関係を知ることで得られる。

 たとえば、「人には頭と胴と手と足があります」という共通点があったとしよう。
 一人ひとりを見た場合、手や足がない人もいる。
 しかし、多くの人に通じる知識として語られる場合、手や足があるものとして扱われる。

 当人にとって、足がないことが普通。日常的に続く状態。
 しかし、他人の前では、「足がないのは特殊である」という前提で話すことが求められる。

 自分にとって普通でも、多くの人にとっては異常である。
 だから他人と話す時は、自分の感覚ではなく、多くの人の感覚に合わせて語らなければならない。
 そういう二重性は、異質を抱えた人を苦しめる。

 「足がない」は、大きな違い。しかし、見ることができる。
 もし、精神や内臓など、見えない部分に違いがあったら?
 お互いに気づかず、混乱してしまうかもしれない。

-----

 「多くの人には足があるけど、わたしにはない」という事実がある。
 「しかし、わたしにはこの状態が普通」と、自分自身の状態を肯定すれば、異なる感覚世界に生きることになる。
 「だから、わたしは不完全である」と、多くの人を基準にすれば、同じ感覚世界で生きることができる。

 多様性を保つためには、「その人にとって、その状態が普通」と受け入れることから始める必要がある。
 ところが、「障害があっても、健常者と同じように暮らせる」という目標を掲げれば、「不完全だから、完全に近づける」という発想になってしまう。

 異なる感覚を認めれば、「なぜ、そう思うのか?」を想像する必要が出てくる。
 時間がかかるので、同時に、多くの人と関わることは難しい。
 必然的に、家族や友人など、個人的な関わりを持つ人に限られてしまう。

 また「知りたいのに分からない」「分かってほしいのに、理解されない」などすれ違いが起きる。

 たとえ、分かりあえたとしても、異なる感覚を受容することを制度化するのは、不可能だと思う。
 対立する価値観を調整する過程で、客観的な基準が求められるから。

-----

 弱者を支援しても、強者にはなれない。
 「普通のふり」ならできる。しかし、競争には参加できない。
 無理して参加しても、勝つことは難しい。
 なぜなら、強くても、勝ち続ける人は、ほとんどいないから。

 すると弱いことが、「競争しなくてもいい特権」に変わってしまう。
 ずるをしているような気がして、無理をしてでも争いたくなる。

 健康なら、負けると分かっていても逃げられない。
 「生きることの苦しみから逃げた」と非難されるのが嫌だから、わざわざ痛くなるようなことをする。
 引き受けた役目を果たすことを優先する。

 「他人が放棄してもずるいと思わないのに、自分が放棄するのは許せないのはおかしい」と分かった今は、不自然な選択だと思う。でも、正しいと信じている間は、「そうしなければならない」と思い込んでいた。

 不自然さを言葉で自覚したのは、「身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価」(ガボール・マテ(著)、伊藤はるみ(訳)、日本教文社、\2,095E、平成17年9月15日)を読んでから。
 それまでは、漠然とした印象でしかなかった。「この人は、ずるいとは言わないだろうな」という印象が、それまでとは違う行動を取らせた。

 何をしてもいいなら、わたしは何をしたいのだろう?
 よい子でないわたしは、どんな子なんだろう?
 自分が感じている世界が知りたくなった。

 よく考えたら、少年漫画と同じくらい、耽美的なものも好んで見ている。
 たぶん、身体の変化を通じて、行動を決めているからなのだと思う。
 官能的ではないけど、感覚的には違いない。
 だから、面白かったのだと思う。

 世界について知識を得るより、自分が感じていることを知る方が、怖いし、難しい。
 でもたぶん、それがわたしのしたいことなんだろうな。

----- ----- -----

 今日、2-2を書いた。400字詰めで3枚。
 ここまでで、3+2+3=8枚だから、まだ先は長い。

 このまま月に2~3枚ペースで書いたら、100枚書くのに3年4ヶ月かかってしまう。
 もうちょっとペースをあげたい。

 でも、どう書けばいいのか、この内容でいいのか、迷って進まない。
 それでも、最後まで書いてみよう。
 推敲して駄目なら、その時は諦めて最初からやり直そう。

 迷い始めると、人に見せることをためらうようになる。
 読んで欲しいような、隠しておきたいような、複雑な気分。
 変わるかもしれないし、最後まで書き終わるまで、しばらく静かにしていよう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック