泉大津

 28日の大阪泉大津のイベントに行ってきました。

 野外イベントは、暑いし、長い。日常に支障がある人が行くのはちょっとねえ……とやめたけど、2週間くらい前に行くことに決めました。
 やっぱり暑かった。でも、風が吹いていたから意外と平気だった。
 長袖のシャツを着ていたので、手の甲だけ日焼けしました。まだ手袋をしているみたいです。

 開演前に着いたけど、食べたらどうなるか分からない。でも食べないわけにもいかない。
 たこ焼きといか焼きなら、わたしはいか焼きの方が好き。いかと卵に濃いめのソースがかかっていて、ちょっとピリッとする。量も少なめでちょうどよかった。

 食事も済んだし、開演まで芝生で休むため、ステージ前に移動した。
 入口でもらったビニールの袋に座ろうとしたら、隣のお姉さんが「よかったらどうぞ」とレジャーシートを貸してくれた。全く知らない人なのだけど、貸して貰うことにしました。待ち時間も、彼女と話していたので気にならなかった。バス乗り場で別れるまで、ずっと一緒でした。

 それで、BUCK-TICKはどうだったのか?
 最初が「独壇場Beauty」で、最後が「HEAVEN」だった。
 「極東より愛を込めて」を聞いたような気がする。ちょうど日が落ちる時間だったから、炎みたいで似合いそうと思ったら始まったので覚えている。でも、想像だったのか、現実だったのか、だんだんあやふやになってきた。

 他には?
 ステージの上の方に、大きなモニターがあったので、すごく見やすかった。だから、そのまま後ろで見るつもりだった。でも、彼女に「前に行かなくていいの?」と聞かれて、行った方がいいような気がしてきた。
 結局、彼女は山崎まさよしさんのファンだったので、彼女も一緒に移動して、BUCK-TICKと山崎まさよしさんを前で見ることになりました。
 前に行ったら、ライブハウスくらい近かった。それで、言葉にしたら何でもないような場面の印象がたくさん残りました。そして、全体の印象は言葉にできなくなった。

 たとえば、深夜、移動中の電車の中で、お酒とおつまみを持ちこんで飲んでいる人に会ったとするでしょう。それを見て、「きっと今ごろ打ち上げで飲んでいるんだろうな」と思ったら、イベントと関係があるの?
 MCと祝福コメントにお酒の話があったからなのだろうけど、いつもと違うわけではないから、何もなくても思い出したかもしれない。浮かんできたイメージはみんなが飲んでいるところで、櫻井さんだけではなかったからそう思う。

 自分が体験したことを取り除いて、イベントの様子を伝える客観的な文章を書こうと思ったら、どうしてもできなかった。現実も空想も、混ざり合ったままにしておきたいし、分けられなかった。

 楽しかったのだから、言葉にできなくてもいいことにしよう。
 レポートはあきらめて、自分が感じたことを記事にしましょう。

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 イベントの最後に花火が上がった。
 今年は、打ち上げ花火は見られないと思っていたので、嬉しかった。

 打ち上げ花火って、きれいだよね。身体に響くような音と、火薬の匂いと、まばゆい光。五感を刺激するから、好きなのかもしれない。

 そういえば、芝生に座っている時の方が、音が身体に響いてきた。楽器になったみたいで面白かった。肺にたまった空気が震えて、胸から音がするような気がした。
 寝転がったら、どんなだろう?
 気になったけど、試すことはできなかった。

 だいたい寝転がっているのは、子どもか男性。女性は見かけない。小学校の運動会でもそうだった。
 なんとなく、外で横になるのは抵抗がある。それに、骨震動が伝わりやすいのは、座っている姿勢かもしれない。案外、響かなくなるのかもしれない。疑問があると余計に気になる。やっぱり試せばよかった。

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 イベントが終わって、スパワールドに泊るために南海線の「新今宮」で降りた。
 彼女に「歩くから、動物園前の方がいいよ」と言われたのだけど、帰りの切符を買ってあったので新今宮で降りた。しかし、駅の中で迷ってしまい、言われた通りにすればよかったと後悔する。

 駅員さんに教えてもらって道は分かったけれど、雰囲気に負けてしまう。
 「生活保護申請」とか、「内風呂有ります」とか、苦しい生活を連想させる言葉が並んでいた。

 スパワールドは、かなり込んでいた。9/30まで入場料が千円だからかもしれない。
 本当は、ここで朝まで過ごすつもりだったけど、すぐに出ることにした。
 同じ温泉でも、お台場の大江戸温泉物語とは全然違う。わたしには合わなかった。
 もう一つのプラン、「阪急梅田駅前の漫画喫茶で始発を待って、嵐山に行く」に変更した。

 スパワールドのすぐ近くのはずなのに、御堂筋線の動物園前駅が分からず、また教えてもらう。
 細い階段を下りて、炭焼きの匂いと煙の充満した暗いトンネルをくぐって、やっと地下鉄の入口を見つける。
 切符を買ってホームに付いたら、終電の一つ前の電車が出発するところだった。目の前で扉が閉まってしまった。でも、開けてくれた。嬉しかった。終電に乗れるけど、誰もいない場所で、十数分待つのは怖い。

 阪急梅田駅で、漫画喫茶を探していたら、ホテルを探しているおじさんに道を聞かれた。
 「地元ではないので、分かりません」と言うしかなかった。
 おじさんがどうなったのか分からないけど、わたしはなんとか漫画喫茶を見つけられた。

 漫画喫茶は6階。エレベーターに乗らないと行けない。待っていたら、酔った外人二人が来て、ふざけて何度もエレベータのボタンを押す。わたしをからかっているのだろうけど、ただでさえ不安なのに笑えません。
 彼らは、2階のBarらしきところへ去って行った。密室に3人はドキドキする。地震がきて閉じ込められたらどうしようとか、短時間に次々と怖いことを想像してしまう。

 やっと着いた漫画喫茶は、明るくて、自分の居場所があって、天国のようだった。
 店に着いたのは、12時過ぎ。始発は5時だから、4時半ころ出る。寝るほどの時間はないので、ナルトを読む。
 読めたのは、5巻まで。今井さんが号泣した週ははるか先。続きは、地元に帰ってから読みましょう。

 5:00発の阪急電車に乗ったら、朝焼けが綺麗だった。
 どうしても見たかった嵐山の竹林も見れた。
 嵐山から93系のバスで移動して、熊野神社の近くで匂い袋も作った。
 バスでもう一度戻って、昼と夕方の竹林を見ようと思ったけど、腰痛で断念。
 京都駅から新幹線に乗って、17時ころ家に着きました。

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 新世界から嵐山に移動したら、町の雰囲気が大きく変わった。
 それぞれカラーが違う。わたしは、どこが好きなんだろう?
 あまり出掛けたことがなかったころは、何でも珍しかった。今は、どこに行っても違和感を感じてしまう。
 たぶん、書いている時が一番楽しいのだと思う。今なら、竹林の印象をまとめて、2章2節を書くことが、わたしらしく過ごす時間なのかもしれない。

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 イベントに出かける前の日まで、図書館で借りた谷崎潤一郎「陰翳礼讃」を読んでいました。
 p87くらいに平安時代の話が出てきます。女性は、経済的には男性に頼っていたけれど、男性から尊敬されていたそうです。説明として「仏壇は自分の所有物だけど、頭を下げるし、拝まないと罰が当たるような気がする」というような意味のことが書いてあった。「誰のおかげで食べられると思っているんだ」という態度とは全く違ったのだそう。

 哀願する姿は、かっこ悪い。
 希望が通ればまだいい。断られたら、気持ちの落としどころがない。
 相手の要求にだけ答えて、自分から求めなければ、苦しまなくてすむ。
 けれど、人の目を気にして、伝えたいことを伝えられないだけだと分かれば、断られるよりかっこ悪く感じる。
 わたしは、力で勝つより、拒絶されても求め続けることができる人の方が、強い人と思う。

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 感情や感覚を感じることは、心身ともに消耗する。だから、感じることを無意識に避けてしまう。刺激を受けても、「大したことない」と気にしないようにする。自分のことなのに、他人事のように扱って、感覚を麻痺させる。

 ある程度、感覚を制限しないと、集団生活は難しくなる。
 しかし、小説を書くためには、小さな刺激に反応して、自分の身体で感じなければならない。
 ところが、覚悟を決めて、いざ感じようとしても、慣れてよく分からなくなる。はっきり感じ取るために、新しいことを求めたり、刺激を強くしたりしないといけない。

 わたしは、無意識に感じることを避けていたから、慣れて感じなくなった経験がない。未知の不安の方が大きい。

 小説を書かなくても、自分が受けた印象より、社会的な秩序を優先させると、自分が誰だか分からなくなる。
 「反抗した方がいい」という意味ではない。自分の印象に反して、社会秩序に従ってもいい。大切なのは、自分の印象を知っているかどうか。「本意を知っていること」が自己を失わない鍵らしい。

 「嫌い」と思うことすら認めなければ、限界までなんでも頑張ってしまう。向き・不向きも気にしない。むしろ、好きなことを諦め、嫌いなことばかり選ぶような気がする。

 理屈で縛る態度は、哀願の対極。
 自分に欠けたものが分かったら、押しつぶされる幻想を見なくなった。

 「これは嫌い」と思うことに罪悪感を持たなくなった。
 迷わず好きなものを選ぶようになった。

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 それでも結局、わたしは最も効果が得られる方法を理詰めで考えるだろうし、哀願はしないと思う。
 できないことが多すぎて、頼みだしたらきりがないから、やりたくないのだと思う。

 お願いするなら、健康でも難しいような、専門的で大がかりなことだけにする。
 そうするととても野心的に見えるらしい。

 小さな目標しかない時にあきらめるのは、とても辛い。
 でも、大きな目標があれば、「できないけど、できなくても構わない」という余裕ができる。
 だから、目標を持つ。

 しかし、目標の効果は、誰でも同じなのかもしれない。
 目標が見つからないと気持ちが休まらないのかもしれない。

 それなら、戦略的で攻撃的なことも、悪いことばかりではないのかもしれない。男尊女卑という価値観では、完全に否定される行為。でも、そうではない時代もあったし、そうではない人もいる。
 だから、社会的な価値観に合わせて曲げないで、自分の個性を大切にしよう。

 たぶん、書きたいのは、そういう心情なのだと思う。

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