沖縄観光

 沖縄で、定期観光バスAコース「南部戦跡めぐりと玉泉洞」に参加しました。

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 沖縄に、3泊4日の旅行をしました。
 初日の夕方の便で行って、最終日の朝の便で帰りました。

 沖縄空港からゆいレールで、県庁前まで行って、ホテルにチェックイン。夕食を食べるために、「沖縄料理の店 まんじゅまい」に行きました。県庁前駅から歩いて3分ぐらいのところにあります。
 金土は、19:00から三線(サンシン)のライブがあって、19時少し前に着いたので見ることができました。
 食べたのは、自家製ゆし豆腐定食。内容は、「ゆし豆腐、ごはん、味噌汁、目玉焼き、つけもの」です。すごく美味しかった。
 ゆし豆腐は、どんぶり一杯ぐらいありました。そのまま、しょうゆ、味噌だれ、島唐辛子などで、味を調整します。わたしは、味噌+島唐辛子が気に入りました。
 すごくお腹が空いていたので、音楽を聞きながら食べ続けていました。ゆったりした時間が心地いい。
 賑やかな曲になると、お店の人から三板(サンバ)を渡されました。何に使うのか分からず、困っていたら、お店の人がはめ方や、叩き方を教えてくれました。左で握り、右手でたたく。右手は、裏、表と叩き方を変えることで、音が変わります。聞いているだけより、参加できて楽しい。でも、腕がだるくなってくる。店の中を見ると、若い女性3人のグループに、三板が二つ。「よかったら、どうぞ」と差し出しました。
 ここでの経験が、三線への興味となり、3日目に琉球村で挑戦してみました。
 ライブの最後は、みんなで立ち上がって踊りました。手でよい空気をかき混ぜ、足で悪い空気を踏みつけているのだそうです。

 食事が終わって、夜の国際通りを散歩する。
 買って帰ると約束したキーホルダーを探す。「あ・うん」が揃った、色違いを4つ買いました。
 星の砂が、すごく値下がりしていたので、ついでに買ってみる。

 ほかには、塩だけが売っている店やTシャツ屋さんやら、珍しいものが並んでいました。
 でも、沖縄は二度目なので、物にはあまり興味が湧かなかった。

 でも、うっちん茶はすごく気に行って、沖縄にいる間、ずっと飲んでいました。

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 二日目は、定期観光バスAコース「南部戦跡めぐりと玉泉洞」に参加しました。
 集合時間は9:00、出発は9:30、解散は15:30、所要時間6時間、大人4,800円です。
 わたしは、インターネットで予約していきました。集合場所で支払いを済ませて、予定通り出発しました。
 13:00発もあります。1日2便です。
 複雑な流れは、文字を読んだだけでは分かりにくいけど、ガイドさんの声を通して聞くと不思議と頭にイメージが湧きます。少し忙しいスケジュールですが、初めてなら定期観光バスで回ることをおすすめします。

 最初に「旧海軍司令部壕」に行きました。
 コンクリートの建物が並ぶ丘を登ると、周囲が見渡せて、とてもきれいな場所でした。暗いイメージだったので、すごく意外でした。
 丘の上に玄関があって、写真が並んでいました。やせ細った島民の姿など、外の景色とは対照的でした。
 階段を下りると、資料室があります。医療器具や採掘に使用した道具が展示してありました。写真もたくさんありました。
 壕は、資料室横の階段を下った場所にあります。階級の高い人の部屋は、白く塗られていました。湿気対策なのだそうです。壕は、雨が降るとコンクリートのように固まる性質の岩を、つるはしで掘って作られました。あちこちに、つるはしで削った跡があります。つるはしの跡は、天上にもあります。天井をつるはしで削ったら、欠片が自分に落ちてくる気がします。頭にあたったり、目に入ったり、髪も顔も泥だらけになる気がした。汚れても洗うこともできない状況で、掘り続けたのでしょうか。
 湿気を含む空気が、より一層怖い気持ちにさせます。
 幕僚室には、幕僚が自決した跡が残っていました。漆喰に残った無数の穴が、血しぶきのように見えて、とても怖かった。
 暗号を解読する部屋が一番広くて、兵士たちが寝起きする部屋や医務室はとても狭かった。
 落盤があるので、閉鎖されている場所もありました。使用されていたころも、落盤はあったのかもしれません。丘の上は、辺り一面見渡せて、青い空に白い雲、緑の木々がとてもきれいなのに、地下に潜って戦っていた。そう思うと、とても悲しくなりました。

 次に向かったのは、「ひめゆりの塔」です。
 壕だと言われても、上からはただの穴にしか見えず、こんな場所に人がいたとは思えなかった。
 穴の手前には、墓石ほどの記念碑があります。こちらが、最初に建てられたものだそうです。しかし、穴の後ろに、亡くなった方の名前が刻まれた大きな石ができたので、そちらだと思うことが多く、いまでは、新旧あわせてひめゆりの塔としているそうです。
 戦争で、何もなくなった場所に、最初に塔が置かれ、跡から木々が植えられたそうです。今では、立派な大木になっていました。
 ガイドさんの説明が終わって、食事になりました。食事が終わってから、お花を供えさせてもらいました。それから、資料館に入りました。
 資料館には、たくさんの遺品がありました。それから、手記もありました。とても生々しく、胸が苦しくなるような内容でした。手記のそばには、壕を再現した部屋がありました。でこぼこした土だらけの穴の中に、治療を受けることもできず、苦しみ、怒る人々の中にあったなんて、今の暮らしからは想像もできません。
 最後に、女学生が看護に召集されるまでの流れを示した部屋がありました。文明開化が起きて、最初は、自由・平等を尊ぶ自主的な活動が盛んだった。竹下夢二のイラストを交換することが人気など、今の子どもと変わらない楽しみも持っていた。「自分たちの制服を、自分たちで決める」という自治も与えられていた。ところが、戦争が始まって、自己犠牲を強いる方向に向かっていく。
 彼女たちは、看護の合い間に、勉強を続けるつもりだった。だから、万年筆や下敷きを持って行っていた。展示されていた下敷きは、熱のためか、ふにゃふにゃになっていました。
 手記では、厳しい状況にも関わらず、友だちを思いやり、最後まで助け合おうとしていました。人権を尊重する平等教育を受けたから、厳しい状況でも理性的に行動したのかもしれない。幸せが何か知っていたから、悪いことはできなかったのかもしれない。
 勤務の交代も、銃弾が飛び交う中を移動するので、命がけでした。一人の女生徒が、銃弾を受けました。弾は、腹から尻に抜け、内臓が外に出てしまっていた。撃たれた女生徒は、看護の経験から、腹を撃たれた兵士は助からないと知っていました。だから、自分にはいいから、兵士さんたちに薬を使ってほしいと訴えたそうです。
 理屈としては正しいけれど、相当痛かったはず。他の手記も、同じように苦しい状況がありました。しかし、正気を失うことなく、最後まで人らしい感情を持ち続けていました。
 女学校の流れを知った時、彼女たちの気高さの源を見たような気がしました。

 ひめゆりの塔で、ガイドさんから話を聞くまで、わたしは、南部から上陸したと勘違いしていました。
 沖縄は、本土上陸を食い止める最後の防衛線でした。アメリカ軍が、沖縄を占領する時、中央から上陸して、北部を制圧しました。追い詰められた日本軍は、南部に追われていった。首里城の下に壕が作られたため、跡かたもなく破壊されたそうです。
 旧海軍司令部壕から、ひめゆりの塔がある医療壕までは、バスなら20分ほどの距離です。しかし、夜の間、けが人に肩を貸して、医療器具を背負い、銃弾を避けながら移動したため、10日ほどかかったそうです。
 解散命令が出た跡は、あてもなくさまよわなければならなかった。手記で印象的だったのは、「誰もが、抜け殻のように呆然としていて、話しかけても反応のない人が多かった」といろいろな人が書いていたことです。

 生きる気力を失ってしまった人も多かったでしょう。しかし、生き抜こうとした人も多かった。
 戦後生まれのわたしは、戦時中の苦しさを知りません。しかし、今困っているわけではないのに、困るかもしれない不安で死にたくなってしまう。わたしは、「何をしてもわたしの体力は回復しない。問題が起きても、自分ではどうすることもできない」と分かって、何もかも嫌になる経験をしたばかりでした。
 彼女たちは、最後まで友だちの行方を気にかけ、病人の世話を続けました。食べ物がなくて、ふらふらなのに、他人を顧みることができた。その情熱は、どこから生まれるのでしょう。

 戦争は、誰もが悪だと言える。語られる悲惨さは、誰が聞いても「そんな状態は嫌だ」と思える。
 戦争中と比べれば、今は天国かもしれない。でも、彼女たちも、平和なら竹下夢二のイラストを楽しむ暮らしを続けていたと思う。「そんなものは、生活には必要がない。贅沢。無駄」などと批判されていたかもしれない。
 「戦時中の悲惨な暮らし」と「好きなイラストを楽しむ贅沢な暮し」の間には、何があるのでしょう。
 考えても、分かりませんでした。でも、答えが知りたいと思った。

 次に尋ねたのが、「沖縄平和記念堂・平和の礎」です。
 平和の祈りを込めた場所なので、とてもきれいでした。沖縄平和記念堂は、天井の星が素敵だった。
 平和の礎がどこにあるのかわからず、波の音が聞こえる方に歩いて行きました。重い歴史を持つ場所を見続けたので、青い海が見たくなりました。
 しばらく歩くと、大きな石が5つくらい見えました。さらに近づくと、5つどころではないことが分かりました。石は、海に向かって、幾重にも並んでいました。
 石には、戦争で亡くなった方の名前が彫られているそうです。犠牲者の多さを、実感した瞬間でした。数で言われるより、並んだ石を見た方が、多さが伝わりました。
 石が並んだ場所を過ぎると、海が見えました。広場の中央に、噴水がありました。水の底には、地図が彫られていました。
 海は、浅い部分は水色っぽくて、遠い場所は黒みがかった青色をしていました。近くの海と色は違っても、香りは同じでした。磯の香りがする。
 ずっと海を見ていたら、「解散命令が出て海まで逃げた女生徒たちが、アメリカの船が並んでいるのを見て絶望した」という話を思い出しました。船の幻が見えるような気がして、少し怖くなりました。

 戦地では、食事の支度が終わると、一番危険な配給が待っている。前線で戦う兵士に、弾を避けて、食べ物を届ける。
 「体に良いものを食べましょう」「健康のために適度に運動しましょう」が日常のわたしたちも、戦時中も、食べることは欠かせない。「食べられること、眠れること、安心できること」さえ満たされているなら、気に病むことは何もないのかもしれません。
 最後は、そんな気持ちになりました。

 ツアーの最後は、「おきなわワールド」です。
 最初に、800mほどある長い鍾乳洞を歩きます。天井からは、たくさんのトゲトゲがぶら下がっています。「下から見上げたら、どんな感じだろう?」と気になり、見上げてみます。尖った先端が見えて、すごく怖かった。今にも落ちてきそうです。早く出たくてたまらなくなる。
 しかし、見上げたのは入口近くです。一方通行なので戻ることはできません。途中で出ることはできません。急いで抜けることを目指します。かなり歩いたところで、案内板がありました。まだ半分も来てないことを知り、怖さが倍増します。
 整備された鍾乳洞でこれだけ怖いのだから、自然な状態の洞窟を冒険するなんて、とても無理だと思いました。
 整備された金属製の道路には、ところどころ丸い跡がありました。足で踏んでみたら、水たまりではなかった。どうやら、天上から落ちた鍾乳洞の欠片らしい。数百年後には、人間の作った橋も鍾乳洞に飲み込まれてしまうのでしょうか。自然って、たくましい。でも、怖い。

 鍾乳洞から出て、フルーツ茶屋で、緑色の果物を食べて休憩しました。キワノという名前で、味はキュウイに似ています。触感はプルプルしていていいけれど、種が気になりました。わたしは、一度で満足です。もう一度食べたいとは思いません。
 次に、ブクブク茶屋で、ブクブク茶を飲みました。最初に泡を食べる。お茶を飲んでしまうと、泡が器に隠れてしまうので、飲みにくいです。泡は、ちょっと苦いです。お茶は、さっぱりしていて美味しい。このお茶は、友だちと飲んだら楽しいと思います。一人では、泡を食べるのが恥ずかしいです。
 それから、機織り工房で、しおりを作りました。お店の人が、後ろについてくれて、言われた通りに足で踏み、手を動かします。ゆっくり、10往復くらいします。所要時間は5分ほどです。自分でするのは、太い糸のところだけです。最初の支度と、最後の仕上げは、お店の人がしてくれます。お店の人に、「不思議なものですね(だったと思う)」と言ったら、「さっきも、幼稚園の子に、早いねと言われました」という返事が返ってきました。わたしは、幼稚園の子と同じ感想なんでしょうか。でも、機織りは不思議で面白い。意外と複雑な作りで、いろんなことができる。
 バスの出発時間が迫っていたので、しおりを受け取り、急いで出口に向かいました。「おきなわワールド」から「県庁前」近くのバス会社まで、40分ぐらいかかるので、ブルーシールのさとうきびアイスと、ペットボトルのうっちん茶を買いました。さとうきびアイスは、疲れが取れます。ブルーシールで、一番好きな味。

 帰りのバスで、さとうきび畑がどれが知りました。「雑草だと思う人が多い」と言っていたけれど、わたしも思っていました。
 行きのバスでは、中古車が多い話を聞きました。色は、白が多い。理由は、日差しが強烈で、日焼けして変色してしまうから。エンジンより、ボディーが痛むので、車にお金はかけないのだそうです。台風の跡は、水洗いして、塩を落とさないとすぐ錆びるそう。
 木造住宅から、コンクリートが主流に変わったのも、台風対策だそうです。台風の時は、どんななのでしょう。遊びに来るのはいいけれど、暮らすのは大変そう。

 ツアーから戻って、ホテルで1時間ほど休んで、ライブ会場へ向かいました。
 ライブが終わってから、国際通りで「どらえもん」という店の「どらえもんそば」を食べました。店は、通りから路地に入った場所に入口があって、階段を上った突き当たりにあります。階段を上がったあたりで、かつお節の香りがします。
 店の名前から、若者が経営するファンシーな店を想像していたので、最初は家庭的な雰囲気に戸惑いました。でも、具もそばもすごく美味しかったです。

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 「疲れているようなら、ホテルで寝よう」と思って、3日目は予約も予定もしていませんでした。
 しかし、前日のバスツアーが面白かったので、路線バスに乗ってみることにしました。

 寝る前に、ホテルのロビーで、路線バスの時刻などを調べます。
 いろいろ迷った結果、那覇バスターミナルから、名護バスターミナルへ行く20、120番に乗って、琉球村と万座毛へ行くことにしました。琉球村に8:30につけるように計画を立てます。

 翌朝、那覇バスターミナルに行くと、20番は早い時間に来るバスで、120番は20番がなくなってから出るバスだと知りました。
 待合場所の上に、次に来るバスの時刻と行き先が表示されるので、安心して待つことができました。

 バスは、那覇バスターミナルを出て、国際通りを抜けて、海岸線沿いを北へ走ります。時折、青い海が見えて、とてもきれいです。
 途中、すごく大きな敷地があったので、「低い建物が並んでいるけれど、何の工場だろう。すごく広い。バスの一区間くらいありそう」と思っていたら、米軍基地でした。海に面した、とてもきれいな場所にありました。
 「こんなに広くて、綺麗な場所にあるなんて、本当に基地の町なんだな」と思いました。

 バスは、さらに北へ向かいます。
 すると、外国の男の人が来て、「チャタンはどこですか?」と日本語で聞いてきます。どこか分からず、壁の案内板を示します。しかし、チャタンの漢字が分からなかったのか、結局、運転手さんに聞きに行っていました。
 乗客は、わたし以外に、女性がもう一人いました。なのに、なぜわたしだったのでしょう。
 地元でも、旅先でも、道を聞かれたり、商品の買い方を聞かれたりします。帰りの飛行機で、「化粧をしてないから、観光客だと思わなかったのかもしれない」と気付いて、納得しました。普段着だし、生活感があるのでしょうね。
 この出来事で、チャタンは「北谷」と書くと覚えました。

 バスは、海岸を離れ、山の中を走ります。道に張り出した枝に車窓をたたかれながら、北へ進み続けます。
 沖縄は、海だけではなく、山も多い。緑が多い。路線バスにのると、そんなことも分かります。

 琉球村には、開館する8:30ちょっと前に着きました。まだ門が閉まっていたので、どこに行けばいいのか分からず、すこし迷いました。入口は、バス停のすぐ前です。
 最初に9:00からのエイサーを見ました。近くで見たので、迫力がありました。
 それから、織物体験でコースターを作りました。使い方を教えてもらって、あとは一人でコツコツ織ります。糸をひっぱり過ぎたり、二か所くらい縦糸の端を飛ばしてしまったけれど、それなりに上手にできました。機会があったら、また挑戦してみたい。
 織り終わった後、目の前の広場で10:00から「道ジュネー」が始まりました。すごく面白かった。チョンダラーと獅子舞の掛け合いが好き。最後は、みんなで踊りました。中央では、頭に液体の入った一升瓶を乗せておばあさんが踊っていました。すごい。びっくりです。
 三線体験の前に、さとうきびを絞った汁と、味噌を塗ったお好み焼き風の食べ物と、黒糖を塗ったホットケーキ風の食べ物を食べました。どれも美味しかった。サトウキビの汁は、甘みと酸味があって、疲れが取れます。わたしは、味噌を塗ったものより、黒糖を塗ったものの方が好みでした。味噌も美味しかったけど。
 開始10分前に集合なので、10:50に三線教室の場所へ行きました。持ち方を習って、ドレミファソラシドを習って、チューリップを弾いて、安里屋ユンタの最初の方を習いました。面白かったけれど、三線を買って続けようとは思わなかった。楽器は、弾くより聞く方が好き。でも、ホームセンターに行けば、1万円くらいで買えるそうです。ほしい方は、是非、探してみてください。土産物屋やネットでは、もっと高いものしかありません。
 次のバスまで、20分ほどあったので、腰痛を和らげるために10分だけマッサージを受ける。手際良く全体を押してくれたので、痛みが和らぎました。

 次は、万座毛へ行くつもりでしたが、次の駅の万座ビーチまで行くことにしました。
 海に入れるのは、10/31までなので静かです。結婚式を挙げた二人が、記念写真を撮っていました。ほかには、家族連れがいました。
 海岸を歩いて、ベンチで休んで、万座ビーチや万座毛を眺めます。予報では雨でしたが、晴れ間がのぞいて、「青い空と海に、白い雲と砂浜」という沖縄らしい景色が見られました。
 砂の上を歩いて疲れてしまったので、ぼんやり海を見て過ごします。しかし、いつまでも座っているわけにもいかないので、バスが通る道に戻ります。あまりに暑いので、そのまま万座毛まで歩くことはできず、喫茶店で月桃のぜんざい(かき氷)を食べて、体を冷やします。家では、半纏を羽織って暖をとっていたのに、ずいぶんな違いです。

 遠くに見えた雲が飛んできたのか、喫茶店から出ると、辺りはすっかり曇っています。
 バスの一区間分戻って、万座毛の入り口を見つけます。坂道の下に「万座毛まで800mの文字」があります。すでに痛む腰を気にしつつ、登り始めます。かなり長い。上がりきった場所に、洋服などを売るお土産屋さんがありました。想像していたより、観光地という感じがしました。
 景観は確かにきれいです。でも、人が多くて、ゆっくり座って見られないので残念でした。万座ビーチの方が、ゆっくりできました。
 わたしは、海の色より、波の方が好きなのかもしれません。今度は、日本海の荒波が見てみたい、などと思ってしまいました。

 万座毛からバス停に戻る途中で、雨が降り出しました。
 バスは、しばらくこない。どうしようかな……と身をかがめて案内板を見ていたら、バスが来ました。時間は、多少前後するのかもしれません。
 行きのバスでは、楽しくてずっと景色を見ていたけれど、帰りは眠くて仕方がなかった。曇り空のなか、バスに揺られて、うとうとしていました。

 県庁前で降りて、「パレットくもじ」の2階にあるアフタヌーン・ティーで、きのこと鶏スパゲティーとアールグレイとアップパイのセットを食べました。出発前から、脂っこいものや量を食べないように気をつけていたので、美味しかったです。
 それから、無印良品で入浴剤を買って、イタリア展で生ハムと焼き栗も買って、ホテルに戻って休養しました。

 ホテルには、18時くらいには戻りました。
 最初に、浴槽に湯を張って、入浴剤を入れて、ゆっくりつかりました。
 それから、イタリア展でかった焼き栗と生ハムを食べました。
 焼き栗は、初めて食べました。意外と美味しい。甘栗より好きかも知れない。
 那覇は、わたしが住んでいる場所より都会なので、沖縄らしさだけでなく、都会らしさも楽しめました。

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 4日目は、那覇空港11:00発の飛行機で、中部国際空港に向かいました。
 お気に入りのスープ屋さんによって、昼ご飯を食べました。
 ホテルの石けんが合わなかったので、空港の風呂に入って、旅の疲れをいやしました。

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 休憩が必要だから、移動日を別にとったのだけど、すごくよかった。
 長く休めるなら、最終便で行って、始発便で帰ると、交通費が安上がりです。また、空港で買い物したり、風呂に入ったり、旅行気分を盛り上げることもできます。目的地以外にも、楽しい場所はあります。立ち止まる余裕があったので、移動した感じがしました。

 わたしは、やっぱり旅行が好きなのだと思う。でも、一人で遠出は、とうぶんしないでしょう。最後かもしれない。資金的にも、体力的にも厳しいから。
 でもまた沖縄にいけたらいいなあ。旅行だけだと、なかなか行く気になれない。ライブがあったから、行けたのでしょうね。「その日、その場所でなければならない」がないと、計画は実現しにくい。

 旅のきっかけとなったライブの話は書いてないけれど、とても楽しかったです。
 観光は、取材も兼ねている。楽しいけれど、勉強気分で臨んでいる。
 ライブは、遊びの時間なので、内容を記憶することより楽しみたい。会場では、見たいものを見て、したいようにして、好きに過ごしたい。思った通りに過ごせたので、行ってよかったと思う。ツアーの最初、真ん中、最後を見て、ライブは作られていくものなことも分かったし、面白かった。

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